恋するリベラーチェとは

セクシャリティ問題を考えさせられるLGBT映画特集

リベラル派社会であるアメリカにもあった確かな偏見

90年代以降にかけてようやく、世界でも様々な方面で自由が許されるようになっていった。その自由が示す過程がどこからどこまでかを指すかは人によって異なるものの、大まかに考えればやはり『同性愛』というカテゴリーについての話をするべきかもしれません。どうしてか、今でこそ日本でも同性との恋愛について偏見こそ持っている人はいれど、社会もあまり認めたくないという機運はあっても、少しずつその存在を肯定的に捉えようとする努力が行われていた。渋谷区の同性パートナーシップ制度を導入したのはまさに先駆的ともいえる改革だったでしょう。メディアで報道されて、戸籍上は結婚できずとも愛している人と共にいれるという喜びが強くなったことだけは間違いないはずだ。

それは海を超えた海外においても例外ではない。イギリスやアメリカ、その他フランスといった国でも同性同士が結婚する自由が認められ、実際に籍を入れている人が非常に多いからだ。その都度話題を博して日本にまで情報は届けられますが、こうした話題がそこまで公に届けられるようになったのはごく最近のことだと、知っている人も多いと思います。

かつて、という言葉は正しくないかもしれません。それというのも、現在でもアメリカ国内にある州の中には同性同士の結婚を認めていない保守的な思想を持っているところもあるからだ。あのハリウッド・スターとして知られていたアーノルド・シュワルツェネッガーさんが知事を務めていたカリフォルニア州においても、今ほど寛容さがない国でもあったのです。元々キリスト教が同性同士というものを不純と見なしていたせいで、例えその壁をにぶち当たっても誰に言えることもなかった。

一般人もそうだが、それが芸能人ともなれば影響力は計り知れません。だからこそまだ保守的な政治下にあった国内では自身が同性愛者であることを隠すのが当たり前でした。そんな時代に生きた世界的有名なピアニストとして活躍し、現在までも熱狂的なファンを持つ『リベラーチェ』もまたそんな時代において自身の性に対する欲望を隠さなければいけない時代を生きていた1人です。

当時の状況をよく知ることが出来る作品として、『恋するリベラーチェ』という映画作品が制作されました。どういう内容で制作されたものなのかをまずは簡単に見ていくとしよう。

映画概要について

『恋するリベラーチェ』、この映画が制作・公開されたのは2013年のこと、日本にも同年11月に公開されて人気を博した作品か、と言われると少し微妙かもしれませんが、話題性という点では十分な作品と言えます。映画ではかつて世界的ピアニストとして活躍していたリベラーチェの軌跡が、この作品の展開はリベラーチェ自身が残した自著伝ではなく、かつて彼のパートナーとして公私ともに支えあっていた人である『スコット・ソーソン』による物がベースとなっています。

ではまずはこの映画の簡単なあらすじから説明していくとしましょう。

映画あらすじ

1977年夏、天賦の才能を持つ天才ピアニストとしてテレビは勿論、舞台などでも活躍していたリベラーチェ。彼のパフォーマンスは派手な衣装に身を包んだ稀代のエンターテイナーとして、世界中の人々に愛される存在だった。幼少時からピアニストとして活躍していた彼は順調に人生のステージを駆け上がっている時、ハンサムな青年『スコット・ソーソン』が訪ねてきた。自分と親子ほどの歳の差もあるリベラーチェとスコットだが、やがて公私共に過ごすこととなるパートナーとしてそれぞれを受け入れるようになる。

この関係は実に5年間も続き、2人の関係は立派に恋人と呼べるものへと変化していた。ですがリベラーチェ自身がスコットにも求める理想像も辛すぎた。スコットを整形外科に通わせ、さらにダイエットを強制するなどシダだけでなく、あらゆる肉体改造を用いて自分が理想とする恋人の姿へと変革させるために行使していく。そうした日々の中、マンネリ化や薬物依存に惚ける日々の中で段々と上手く言っていたリベラーチェとスコットの間に亀裂が生じてしまう。

いつまでも楽しい時間が過ぎていく、そう思っていたが夢の時間は唐突に終わりを告げるのだった。

実話を元にした作品

この作品で一番の特徴といえば、やはり著名な人物が後に判明するセクシャルマイノリティだったという点でしょう。リベラーチェというピアニストが活躍していた時代、アメリカにとって同性愛などという思考は断固として認められるべきものではない、そうとも言われていました。それこそ黒人レベルに、例え白人であったとしても男を、あるいは女を同性としての友人ではなく、異性に向ける愛情を持ってしまうようなら社会から抹殺されてしまうレベルだったのです。

特にリベラーチェのような有名人が同性愛だと告白することなど、出来るはずがなかった。今では有名なハリウッドスターが自分もそういう特徴を持った人間であると言える時代にはなっていますが、やはり少なからず混乱や戸惑いといった感情をもたらしてしまうのも事実です。容認されるようになったとはいえ、同性愛者だと告白することは墓場まで持っていく秘密として扱われていました。

リベラーチェ自身は

ただリベラーチェ自身、自分のことを同性愛者だという風に捉えることはあまりしなかったとも言われています。映画では同性愛者といった表現で描かれていますが、この作品の原作となったのはあくまで彼と肉体関係があり、公私ともに支えていたスコット・ソーソン視点によるものだからだ。肉体関係があったから同性愛者、そう結論付けるのは簡単です。ただだからといってそうだと断定する事も出来ません、というのもリベラーチェは自分自身をそのように肯定したことは原作においても一度も表記されていないのだ。

ではウソを付いているのかといえばそうでもない、スコット・ソーソンとの関係は確かにあったのでしょう。ただそれが『=同性愛者』と方程式が必ずしも締結されません。ですがとんでもないスキャンダルに違いなく、知られてはマズイとして法定外で破格の和解金を提示して難を逃れた。彼ほどの影響力を持っているなら、批判は勿論のこと偏見を持たれてしまうという点だけは回避しなければなりませんでした。

余談だが、仮にリベラーチェが同性愛者でなくても男を抱かないとは言い切れません。というのも、事実として異性愛者の人の中には興味本位から男を抱くという人も少なからずいるのだ。これは日本においても例外ではなく、実際に存在していると言われています。

アメリカでの評価

この作品が公開されたことでそれなりに話題を集めたものの、そのあまりに同性愛チックな表現が多すぎるが故に批判家からの評価も軽く、ブラックコメディー過ぎるゆえに降板する人もいたという。内容からも資金調達も難航し、一時期は本当に公開できるのかと心配されていた作品として知られているなど、何だかんだで話題性を富んでいる作品だったことだけは間違いないでしょう。

これは見といたほうがいいですよ

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