映画史上と言われる理由は

セクシャリティ問題を考えさせられるLGBT映画特集

ただ純粋に愛したかった

エマという人間との邂逅を経て、アデルの人生観が大きく変革を強いられるようになります。それまで平凡だった自分の人生に強烈なエッセンスを付け加えるように登場した女性は、彼女が尊敬し憧れる存在として描かれていた。けれど大きすぎる存在になっていくエマの後ろ姿は、同時にアデルに底知れぬ不安と恐怖、そして嫉妬を生み出していくことなる。やがてその感情が大きくなった頃に職場の同僚である男性に遊びへと誘われてしまい、エマへのあてつけかと思わせるようなやけくそな行動にアデルは出てしまいます。

結果、アデルはその男性とも一線を越えてしまった挙句、送ったもらった車中で熱烈なキスをしている姿をエマが目撃してしまった。これによりエマは激怒し、売春婦と罵るようにアデルを問答無用で部屋から追いだそうとします。その勢いに感情のまま、エマがどれだけ好きなのかを訴え、懸命に謝罪をするアデルだったがエマの怒りは解けず、そのまま追い出されてしまいます。

当然エマにすればパートナーとして自分と共にいたアデルが、見知らぬ男といてキスをしていたなどという事実を受け入れられるはずもない。そもそもこれらの態度から見て、エマが遠く離れてしまっていると感じていたのはアデルだけで、エマ自身何かが変わったわけではなかったのだろう。それがまさか浮気の現場を目撃したとなれば、対応も至極当然といったところだ。

ここでもエマとアデルとの間に温度差があると感じる、愛しているという度合いでも一途に想いを貫くことが出来なかったアデル、愛している事に変わりない姿に心からの信頼を寄せていたエマ、そこには確か過ぎるほどの溝があったといえるのではないでしょうか。1つはっきりと言えるのは、アデルはただエマという1人の人間を愛していることに変わりなかったこと、それだけは確実に言えることだ。

交錯する感情

アデルの裏切りにより、アデルとエマは別れることとなります。ですが2人ともがこんな結果になるなど望んでいなかったのも事実。言うなれば、アデルがエマに向ける愛情とエマがアデルに発する愛情との違いがあったための食い違いと見ている。

愛していることに変わりはない、ただ1つ異なっているのは、それぞれが信念とすべきものがあるかないか、また愛情を向ける相手にどこまで傾倒しているかといったところだ。それぞれの感情を少しばかり考察してみよう。

アデルの場合

アデルはエマによって人生そのものが変革した、ただ彼女と出会っても自分が平凡であることに変わりないと認識したままだった。そのため、普通の働き方で普通の社会で生活するままに生きていたアデルだが、彼女はそうした時間の中でエマという人間にどこか偶像崇拝めいた陶酔のような想いを抱いていたのかもしれない。

画家としての道が切り開かれようとしているエマの姿を見て、自分の知らないエマと自分が思い描く彼女とは違った一面を見せられて、アデルは輝くエマの姿に耐えられなかった。また誰かと楽しそうに話す姿もまた愛憎めいた想いで見つめるようになり、自分だけのものではなくなることに恐怖を覚えていったのではないだろうか。そんな恐怖から目をそらすように他の、男性との逢瀬にうつつを抜かすようになってしまい、アデルに手痛く振られてしまいます。

けれどアデルはただ自分だけを見て欲しかった、本当に愛しているんだという、純粋すぎる愛が故にエマという存在を手放したくなかった。それしかこの時の彼女には生きる意味が見出せなかったのかもしれません。けれどそんなアデルの訴えをエマが受け入れることなく、エマという枷を失ってしまうのだった。

エマの場合

エマにとってアデルの存在もやはり、彼女同様欠かすことの出来ない存在だった。自身が画家を続けて行く上で、創造を駆り立てる女神として、自分が目指す場所へ行くために必要なものだとして、彼女の存在を糧としています。それは同時に、アデルという少女に向けて放たれる愛情へと変化し、やがて本当の意味で結ばれた。

それからのエマにとっても、やはり人生を楽しむ上でアデルは必要な存在だったのは間違いないでしょう。ですがエマを愛するのと同時に、彼女自身が目指し続けていた道を切り開くため、活動を続けていた時に転機は訪れます。成功の一歩をつかむことが出来た、それはエマにとって人生の第一歩であり、そしてそれを祝福してくれる相手になってくれるのがアデルをおいて他にないと、そう思っていたと思います。

けれど彼女が見たのは、愛しきアデルが男と逢瀬し姿、エマにすれば心から信頼していた相手の酷い裏切り現場でした。罵るエマの姿は、どうして自分を信じてくれなかったのか、どうして自分のことだけを考えていてくれなかったのか、そんな心情すら取れる内容になっている。アデルからの告白はエマには届いた、けれど一度裏切りを働いた人間と共にいることなど出来ないとしてアデルという存在を側からも、自分の中からも追放します。断腸の思いであったとしても、そうしなければエマ自身が壊れてしまいかねなかった、そう見て取れる。

再会する2人、結末は

別れてから数年後、アデルはエマに招かれて彼女の個展を訪ねます。そこには大成した彼女の作品の数々が展示され、見知らぬエマという人間の全てが込められていた。同時に、個展を尋ねたアデルが求めていたのは、エマとの復縁だった。ひと目も憚る事なくキスをする2人だったが、エマがアデルを受け入れることはなかった。エマはいまだ裏切ったアデルを赦すことは出来ない、そうはっきりと告げて彼女の復縁を断ります。それによりアデルもまた本当の意味で胸に残る純粋すぎるが故に業深き愛を抑えるしかありませんでした。

2人の結末には賛否両論あるかもしれませんが、こうしたシーンから見えてくるのはたとえ別れてもお互いを想い合う心はまだ残っていたというところでしょう。

一途な想いとともに

アデルは勿論、エマにしても結果的に別れることになったアデルの存在を消すことは出来ませんでした。裏切ったとはいえ、自分が画家として一番辛い時期に共にいてくれた少女は確かにエマ自身が内心辛かった頃の支えになってもいたからだ。忘れることの出来ない相手だった、よりを戻すことは出来なくても自分がここまで立派になれたのはアデルのおかげだと、そんなことを連想させるようにアデルを正体したエマの姿もまた印象的と言えるでしょう。

大作と呼ばれるだけのことはある

ラブ・ストーリーをテーマにした作品は世界に数多存在していますが、この作品が垣間見せる人を愛することの美しさ、一人の人を愛する純真さは紛れも無く本物だ。例え性別が同じだからと言えど、支えあい、家族として受け入れた時間は本物。愛情の深さは異性に向けられる物と同じく、性という垣根を超えたからこその愛というものがどれほど尊いものなのかを思い知らせてくれる映画と言えるでしょう。

LGBT映画の中でも、絶対に見て損はないと言われるだけの大作というのも納得できる。

これは見といたほうがいいですよ

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